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宇多田ヒカルのI Love Youに見る底知れぬもの

なんなんだよこれは。。。。魂の震えが止まらない。

昨日見つけて、鳥肌を立てながら何度も見ててしまいました。

2000年千葉マリンスタジアムでのコンサートで、

17歳の宇多田ヒカルが、同じく17歳の尾崎豊が作ったI Love Youを熱唱している映像。

それ以上でもそれ以下でもない、ど真ん中の尾崎豊でしかない尾崎豊が書き上げた歌を、

それ以上でもそれ以下でもない、ど真ん中の宇多田ヒカルでしかない宇多田ヒカルが歌う。

そんな、ゼロ地点をここに見ました。

一流の歌手が誰かのカバーを歌っている時に感じるものを、この映像では感じませんでした。

私はよく、本人が歌っているのを思い出してしまい、耳心地の悪さを感じることがあります。

本人のバージョンとは、ここの歌い方が違うね。

やっぱり本人のがいいな、でもこの人も悪くないな、みたいな感想だったり。

このI Love You はもう宇多田ヒカルの魂の表れでしかないように見えるのに、

それと同時に尾崎豊が何一つ消えていない。

なのに、尾崎豊をカバーしたんだねっていう感じも全くしない。

強烈に宇多田ヒカルはそこにいるのに、いない。

そういう相矛盾するものが同時に存在しているように見えました。

なんなんだろう、これ。

それは歌唱力とか表現力とかそんな次元ではない何か。

宇多田ヒカルは、きっと「歌」というものに対する底知れぬ感謝を持っているのではないでしょうか。

この歌を作った人にはもちろん、歌という表現媒体そのものにも。

感謝しかないと思う時、人は無我になるものだと、私は思っています。

それは、人生のありとあらゆる経験を積んだ年配者がする感謝とは質の違う、

もっと何ものにも寄らない純粋な、ただゼロ地点でに無限の存在している祝福し祝福されているという事象。

他の歌手が歌うカバー曲が変な風に聞こえるときはおそらく、

本人バージョンはこうだけど、私ならこう表現するというような意識があり、これも一種のマウンティングです。

自分を表現しようとすればするほど、純粋さは失われエネルギーは雑多になります。

自己主張して光ろうとするから、同時にオリジナルの影も強まる。

宇多田ヒカルからは、ただ尾崎豊という偉大な魂が作ってくれたこの曲への尊敬と愛、自分がそれを歌えることへの感謝

そういうものしか感じません。

だから彼女が歌っているのを聞けば、同時に尾崎豊の偉大さが魂に伝わり、彼のことも好きになる。

井上陽水の「少年時代」のカバー。こちらもすごく良かったです。

陽水が描く夏の情景に感動している、

この曲への尊敬と愛しかないという彼女の表情が本当に素晴らしく、

ただただ存在そのものが美しいのです。

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